歴史と伝統、そして未来へ

トーアエイヨーは創立から70年以上の歴史を持つ「医療用医薬品」の専門メーカーであり、「循環器領域のスペシャリスト」です。このページでは当社の歴史とともに、当社がこの先の未来へ向けてどのような想いで、どのような道を歩もうとしているのかをご紹介いたします。

1943年〜
草創期

1943年

  • 会社設立発起人会(設立総会)を開催し、東亜栄養化学工業株式会社の設立を決定
  • 東亜栄養化学工業株式会社創立

1944年

  • 伊達工場が本格運転作業開始
  • 山之内製薬株式会社と一手販売契約締結

1945年

  • KS菌によるビタミンB2生産が本格化

1946年

  • 従業員組合発足

1947年

  • 昭和天皇が東北地方御巡幸の折り伊達工場御見学

1948年

  • 従業員組合と労働協約締結
  • 就業規則制定
  • 福島労働基準局より伊達工場が安全衛生優良工場表彰


1949年

  • 東京営業所設置




1950年

  • 第1回労働協議会


1951年

  • 売上高1億円突破


1952年

  • 資本金195万円に増資
  • 伊達工場が「衛生優良工場表彰(労働大臣表彰)」

1953年

  • 創立10周年記念式典挙行

1954年

  • 食品部新設
  • 東京片倉健康保険組合に加入

1955年

  • 決算期を11月に変更
  • 資本金300万円に増資
  • 伊達工場敷地を片倉工業株式会社より譲り受ける

1956年

  • 資本金780万円に増資



1957年

  • 伊達工場の倉庫・乾燥場の土地・建物を片倉工場株式会社より譲り受ける
  • 売上高2億円突破

1958年

  • 創立15周年記念式典挙行
  • 伊達工場が無災害記録第一種表彰受賞

1959年

  • 伊達工場が労働大臣より安全進歩賞受賞
  • 福島県薬業スポーツ大会総合優勝

1960年

  • 伊達工場に合成反応釜設置しFADの合成スタート
  • 売上高3億円突破

1961年

  • 資本金1,950万円に増資
  • 卓球部が県知事・教育委員会により体育優良団体表彰受賞


1962年

  • 大阪事務所開設
  • 売上高5億円突破

会社誕生
-蚕蛹のビタミンB2抽出からスタート-

伊達工場の写真

伊達工場

当社は今からおよそ70年前、世界遺産に登録された「富岡製糸場」の最後の民間オーナーである片倉工業株式会社により、蚕蛹からビタミンB2を抽出し製品化することを目的に1943年に設立され、「東亜栄養化学工業株式会社」としてその第一歩を踏み出しました。

東亜栄養化学工業の初の製品「ビスラーゼ錠」は発売当時、蚕蛹の油を搾った脱脂蚕蛹に胚芽、麹菌、乳酸菌を添加してビタミンB2を生産する発酵法で製造をしていましたが、この方法は原料中のビタミンB2含有量や生産の安定面で課題が多く、技術向上が必要でした。

そこで、1945年、当社はさらなる技術向上を実現します。ビタミンB2を特異的に生産する「KS菌」を入手し、脱脂蚕蛹のタンパクを培養基にしてKS菌を培養、ビタミンB2を効率的に生産する製造方法を確立したのです。

この発明は画期的なものでした。ビタミンB2の生産量が飛躍的に向上し、B2を高配合した製品「強力ビスラーゼ錠」が発売されます。

その後、当社のビタミンB2含有製品は、注射剤「ビスラーゼ注」や、パンやビスケットの食料に添加する強化食用「ビタミール1号末・2号末」など、形状や用途別のラインナップを展開。戦時中から戦後の栄養剤として広く利用されることとなります。
また、1947年には、天皇陛下が当社の伊達工場を御視察されています。

生物学に御造詣深くいらっしゃった陛下は、B2生産菌の工業的利用に特別の御関心をお寄せになり、「今後ますます努力して、産業の発展に尽くしてください」との御言葉を賜りました。

そして、テレビ放送の開始、「もはや戦後ではない」という言葉や、国連加盟など、戦後復興期を経て日本全体が高度成長期へまい進し始めたこの時代に、東亜栄養化学工業も急速な発展を見せました。

創立10周年を迎えた1953年、同年に発売したアレルギー治療剤である「ビスニオン注射液」がヒットし、その後、新製品を続々と発売し、業績を急激に伸ばすことができました。
現在でも当社の製品として名を残す「パントール」「ナイクリン」「フラビタン」などは、いずれもこの時代に製造が開始されたものです。1950~60年代にかけて営業拠点も全国に拡大し、3回の増資、売上高は5億円を突破するなど、日本経済の発展・社会の安定とともに、当社が成長するための研究開発力、生産力、販売力の土台が作られた時代と言えます。

「ビスラーゼの歌」

「ビスラーゼの歌」

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  • 「初期ビスラーゼ錠」

    「初期ビスラーゼ錠」

  • 天皇陛下御視察

    昭和天皇御視察

  • 創立10周年社員旅行

    創立10周年社員旅行

行政・業界と
社会の動き

1943年

  • 薬事法施行




1944年

  • 東京初空襲



1945年

  • 太平洋戦争終戦

1946年

  • 日本国憲法公布

1947年

  • 教育基本法公布施行
  • 日本国憲法施行

1948年

  • 薬事法(医薬品製造の登録、薬事監視員制度の採用など)施行
  • 国民医薬品集(第一版)公布
  • 日本製薬団体発足
  • 医師法、歯科医師法施行

1949年

  • 第1回薬剤師国家試験実施
  • 厚生省設置法により薬務局など設置
  • 湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞

1950年

  • 公職選挙法公布
  • 朝鮮戦争勃発
  • 薬価基準制度初めて実施

1951年

  • 世界保健機関(WHO)に日本加盟
  • 医薬分業法成立

1952年

  • 日赤初の血液銀行開設


1953年

  • NHK・民間テレビ放送開始
  • 薬価基準大改正(薬価調査の90%バルクライン方式)



1955年

  • 6年制大学医学部発足



1956年

  • 医薬分業制度施行
  • ペニシリンショック死亡事件発生
  • 国連に日本加盟

1957年

  • 南極観測始まる
  • ソ連人工衛星打上げ成功


1958年

  • 1万円札発行


1959年

  • 国民健康保険法、・国民年金法施行
  • メートル法実施

1960年

  • 献血運動始まる
  • カラーテレビ放送開始

1961年

  • 診療費値上げをめぐり保険医一斉休診
  • ソ連有人人工衛星打上成功
  • 小児麻痺大流行のためソ連からワクチン10万人分受け入れ決定
  • 西独でサリドマイド禍

1962年

  • 緊急輸入の生ワクチン大量投与により小児麻痺激減
  • 風邪薬によるショック死多発の対応策実施

1963年〜
成長期

1963年

  • 資本金5,000万円に増資
  • 伊達工場敷地内に研究所完成

1964年

  • 伊達工場を福島工場に改称
  • 資本金を1億円に増資
  • 福島工場に合成工場、製剤工場、エネルギー棟、動物実験棟完成
  • 札幌事務所開設
  • 売上10億円突破

1965年

  • 福岡事務所開設
  • 福島工場に大ホール、食堂棟、事務棟、厚生棟完成

1966年

  • 資本金1億5,000万円に増資
  • 名古屋事務所開設

1967年

  • 福島工場に第二合成棟完成
  • 東亜学術通信発刊




1968年

  • 日本製薬工業協会に入会
  • 売上高20億円突破


1969年

  • 福島工場に第三合成工場完成

1970年

  • 山之内製薬株式会社と資本提携
  • 広島事務所開設
  • 福島工場に第四研究棟工事完成
  • 売上高30億円突破

1971年

  • 資本金3億円に増資
  • 東京第一営業課横浜分室開設




1972年

  • 仙台営業所開設




1973年

  • 週休二日制スタート
  • 福島工場に資材倉庫完成



1974年

  • 全日本実業団卓球大会女子軟式の部で準優勝
  • 広島営業所高松分室開設
  • 三全製薬株式会社の経営を引き受ける

1975年

  • 福島工場に活性汚泥排水処理施設完成
  • 内閣総理大臣より産業安全功労賞受賞

1976年

  • 売上高50億円突破
  • 広島営業所金沢出張所開設






1978年

  • 福島工場に西独シュトロンク製アンプル充填機設置


1979年

  • 神戸出張所開設
  • 添付文書集創刊

1980年

  • 医薬情報担当者の研修制度スタート
  • 東京第一営業所大宮出張所開設
  • 大阪営業所京都出張所開設
  • 福島工場にQCサークル誕生

ビタミン製剤のトップメーカーへ

福島工場全景(1965年)

福島工場全景(1965年)

この頃の日本は人口が1億人を突破し、成長する経済とともに東京オリンピックや大阪万博開催と、戦後の世界での立場を復権していきました。この経済成長の一方で、大気・水質汚染による大規模な公害や、食品添加物がおよぼす健康への悪影響などが社会問題になりました。さらに、製薬業界では、サリドマイド被害やアンプル入り風邪薬の死亡事故など、重篤な副作用を引き起こす薬害の発生により、製品の安全意識がいっそう高まった時期でもありました。

そのような情勢のなか、当社は、補酵素型ビタミンB2(FAD)生産を発酵法から有機合成法に転換し、その後フラビタンシリーズを展開しました。また、補酵素型ビタミンB1製剤「カルボキシン」、補酵素型ビタミンB2B6配合剤「ライボミン注」、ビタミンK1製剤「ヒメロンK1」などを発売し、ビタミン製剤の拡充期を迎えました。

また、福島工場は4年をかけて研究所や合成工場を次々と新設し増産体制を整えます。1971年には資本金を3億円に増資、1963年から1972年の10年間に売上高は10億円から30億円と飛躍的に伸び、従業員数も208名から457名と倍以上に増え、福利厚生制度や施設の整備もなされた時期でした。

さらに、日本製薬工業協会への入会、山之内製薬株式会社(現アステラス製薬株式会社)と資本提携を結ぶなど、業界団体との連携をとって安定した右肩上がりの発展を遂げていきました。

高度経済成長期が終わり経済が安定してきたころ、当社では福島工場敷地内の施設整備が完了し、アンプルの全自動充填機や自動包装機など、工程の機械化が進みました。それにより生産性が向上し、高まる市場の需要に対応できるようになりました。また、工場での産業災害防止の取り組みが評価され、1975年に内閣総理大臣賞を受賞、優良事業所としての地位も確立しました。

売上は1976年に50億円を突破、そしてここからの10年で100億円突破が視野に入るまで業績は伸長しました。

社内での品質管理についても、質の向上が図られます。1980年には福島工場の製造部でQCサークル活動が開始され、今では品質管理に欠かせない活動となっています。

  • FAD合成釜

    FAD合成釜

  • 発売当初の「フランドル」

    発売当初の「フランドル」

  • 添付文書集

    添付文書集

行政・業界と
社会の動き

1963年

  • 新薬許可申請資料に催奇形性試験加わる
  • ケネディ大統領暗殺

1964年

  • ライシャワー米大使刺殺傷事件発生
  • 日本内科学会でスモン病認定
  • 医薬品適正広告基準全面改正
  • 東海道新幹線開通
  • 東京オリンピック開催

1965年

  • 米軍ベトナム戦争に参戦
  • アンプル入り風邪薬事件発生

1966年

  • 厚生年金基金令施行


1967年

  • 医療用医薬品の副作用モニター制度実施
  • 富山イタイイタイ病の原因発表
  • 医薬品の製造承認等に関する基本方針取扱通知

1968年

  • 日本の総人口1億人突破
  • 日本製薬工業協会創立
  • 日本初の心臓移植手術
  • 大気汚染防止法施行

1969年

  • 政府が初の公害白書発表
  • 米の有人宇宙船アポロ11号月面着陸

1970年

  • 大阪万国博覧会開催
  • 医療用医薬品の添付販売禁止



1971年

  • 医薬品製造承認基準強化
  • 新開発医薬品の副作用報告義務期間3年に延長
  • 環境庁発足
  • 医薬品副作用報告義務化を指示

1972年

  • 札幌冬季オリンピック開催
  • 厚生省が副作用情報のドクターレター発行
  • 沖縄が日本に復帰
  • 労働安全衛生法施行

1973年

  • 老人医療制度実施
  • 大腿四頭筋短縮症発生し注射が原因と問題化
  • オイルショックによる医薬品の包材不足
  • 江崎玲於奈がノーベル物理賞受賞

1974年

  • 厚生省GMPを通知
  • 診療報酬改定(処方箋料500円)

1975年

  • 厚生省がGMPの実施細則を通知
  • 大腿四頭筋縮小症訴訟提訴

1976年

  • 物質特許医薬特許制度施行
  • GMP実施
  • 製薬協が医療用医薬品プロモーション倫理コードを策定
  • 漢方薬製剤が薬価基準に大量収載

1977年

  • 国立循環器病センター開設

1978年

  • 薬価基準価格全面改正(統一限定列記方式銘柄別収載)
  • 成田空港開港

1979年

  • 製薬協が医薬情報担当者の教育研修要綱策定
  • 医薬品副作用被害救済基金法成立
  • 製薬協が医薬品統一商品コード制定

1980年

  • 製薬協安全性委員会がGLPの自主規制案を作成
  • GMPの法制化
  • 一部医薬品の記帳義務化

1981年〜
転換期

1981年

  • 第2研究棟竣工
  • フランドル発売
  • 第1回冠不全研究会開催


1982年

  • 東栄商事株式会社設立
  • 新潟営業所開設
  • 岡山営業所開設
  • 新社名「トーアエイヨー株式会社」及び新社章決定

1983年

  • 新社名・社章使用開始
  • 売上高100億円突破
  • 千葉営業所開設
  • 静岡営業所開設
  • 全日本実業団卓球選手権大会準優勝
  • 立川営業所開設
  • 本社にIBMコンピュータ導入





1985年

  • 第三研究棟竣工



1986年

  • 売上高150億円突破
  • 本社ー福島工場間コンピュータオンライン化

1987年

  • 売上高120億円突破(純売表示に変更)
  • 福島工場コンピュータ制御ラック方式自動倉庫竣工
  • 全日本実業団卓球選手権大会準優勝



1988年

  • 盛岡営業所開設

1989年

  • 製品パッケージデザイン全面変更
  • 売上高150億円突破
  • 堺営業所開設

1990年

  • 決算期を12月より3月に変更
  • 卓球部が「文部大臣表彰」受賞

1991年

  • 労働大臣賞受賞(第四回 全国労働衛生週間・努力賞)
  • 東京第三支店開設
  • 京都支店開設
  • 高松支店開設
  • 全支店に学術課を設置







1993年

  • 東京研究所竣工
  • 創立50年周年式典挙行

1994年

  • 水戸営業所開設







1996年

  • 本社と福島工場にIBMコンピュータAS400導入

1997年

  • 仙台工場竣工
  • 会社ホームページ開設(求人用)


1998年

  • 創立55周年記念式典・パーティー開催
  • ラジオたんぱ「心臓財団虚血心疾患セミナー」スタート




循環器領域に特化

社名、社章変更ポスター

社名、社章変更ポスター

1981年、満を持して虚血性心疾患治療剤「フランドル」が発売されます。狭心症発作の寛解ではなく、それまでなかった「発作の予防」という視点から開発に着手、試行錯誤の末に長時間効果が持続する製剤として「フランドル」は発売されました。この国内初となる徐放性狭心症治療薬「フランドル」の発売により、当社は循環器領域のスペシャリティファーマとして第一歩を歩み始めたのです。

また、バブル景気以前、日本が長期にわたり経済低迷していた時期、東亜栄養化学工業は新社名「トーアエイヨー」として新たなスタートを切ります。1983年に創立40周年を迎えるのを機に社名と社章を変更。新社名・社章は同年4月から使用が開始され、「循環器領域のトーアエイヨー」として躍進する新時代へと突入していきます。

そして1984年3月、ついに全身用経皮吸収型製剤「フランドルテープ」を発売。「フランドル錠」の主成分が皮膚から吸収されることに気付いた研究チームが医療用テープ剤のノウハウを持つ日東電工株式会社との共同開発で生み出したこの製品は、画期的なDDS(Drug Delivery System)製剤として、その開発技術力が高く評価されます。

薬の成分が皮膚から吸収される薬は経口投与・注射投与に続く第三の経路とも言われていますが、日本における全身用経皮吸収型製剤の使用は、この「フランドルテープ」が発売されたことに始まるのです。

また、この時期には、第1回「冠不全研究会」の開催、「ハートの日」ポスターの提供開始など、今日に続く活動のスタートが切られました。
また、このころコンピュータを利用した業務の効率化が進むなか、当社は1983年からオフィスコンピュータを導入、福島に入出庫情報システムが組み込まれた自動倉庫を建設するといったOA化が進み、本社と福島工場がオンラインでつながるようになりました。

製薬業界では、医薬品の安全性試験実施に関するGLP基準が本格実施され、臨床試験の実施基準(GCP)マニュアルが公表されるなど、法整備が進みます。さらに宣伝担当者の意味に由来する「プロパー」から、現在の呼称・医薬情報担当者「MR」へと呼び名が変更されるなど、製薬会社の社会的役割が明確にされていった時期です。

そのようななか、「フランドル錠」発売から当社営業部門が取り組んできた循環器領域ドクターのネットワーク作りの成功も相まって、医療関係者の間でも「循環器領域のトーアエイヨー」が定着していきます。

そして、バブル経済崩壊後、製薬業界では、薬価制度改革や医療費の患者負担増による受診抑制に加え、治験の国際化や、MR認定制度の導入など、医療費の抑制や業界の規制が強化された時期となります。

この時期の当社は、1993年に創立から50周年、半世紀を迎え、首都圏に初めて研究拠点となる東京研究所を新設しました。1997年には会社webサイトを開設し、また、1998年には「心臓財団虚血性心疾患セミナー」をスタート。生産面では仙台工場を竣工。増加する硝酸薬の需要に対応する体制を整えました。

製品としては、1994年に狭心症治療剤「アイトロール錠」、2000年に糖尿病用剤「メデット錠」、2002年に心不全治療剤「ジゴキシンKY錠・ハーフジゴキシンKY錠」を発売するなど、循環器領域の幅を拡げていきます。

こうして、21世紀を迎え、トーアエイヨーは高齢化、技術革新、グローバル化など、製薬業界に起こる大きな変化に挑み続けたのです。

トーアエイヨー 社名変更 社章の意味
  • フランドルテープ

    フランドルテープ

  • IBM S/36

    IBM S/36

行政・業界と
社会の動き

1981年

  • 製薬協が学術用医薬品の管理基準及び運用マニュアル策定
  • 薬価基準大幅改正(18.6%引き下げ)

1982年

  • 製薬協が医療用医薬品添付文書の記載要領を策定
  • 東北新幹線開通
  • 上越新幹線開通

1983年

  • 老人保険法施行
  • 厚生省が医療用医薬品添付文書記載要領を通知

1984年

  • 千円、五千円、一万円新札発行
  • 薬価基準価格全面改正(16.6%引き下げ)
  • 医療用医薬品の公正競争規約告示
  • 厚生省がB型肝炎ワクチン製造を承認

1985年

  • 国際科学技術博覧会(つくば万博)開催
  • 男女雇用機会均等法成立
  • 日本初のエイズ患者を認定

1986年

  • ソ連チェルノブイリ原発で大事故
  • 伊豆大島の三原山が噴火

1987年

  • 利根川進博士、ノーベル医学・生理学賞受賞
  • 国鉄が分割・民営化
  • 医薬品副作用被害者救済研究振興基金法成立



1988年

  • 原薬GMP通知

1989年

  • 昭和天皇崩御
  • 消費税導入(3%)
  • 消費税転嫁に伴う薬価引き上げ実施

1990年

  • 日本薬剤師会が基準薬局制度スタート
  • GCPマニュアル発表

1991年

  • 医薬情報担当者の呼称を「プロパー」から「MR」に変更
  • ソビエト連邦崩壊
  • 世界初のWorld Wide Webサイト開設

1992年

  • 日本人宇宙飛行士・毛利衛が宇宙へ出発
  • 「のぞみ」が運転開始
  • 薬業界全体が完全仕切価制に移行
  • 医療法改正

1993年

  • GPMSP施行

1994年

  • 日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さん宇宙へ
  • 大江健三郎氏がノーベル文学賞受賞

1995年

  • 阪神・淡路大震災
  • 地下鉄サリン事件
  • 製造物責任法(PL法)施行

1996年

  • 病原性大腸菌「O157 」による食中毒が全国各地で発生

1997年

  • 消費税率改定(5%)
  • 改正薬事法施行(GCP・GPMSP法制化)
  • 新GCP制定
  • 第1回MR認定試験実施
  • 臓器移植法施行

1998年

  • NPO法施行
  • 郵便番号7桁化

2000年

  • 白川英樹名誉教授がノーベル化学賞を受賞
  • 新紙幣2000円札発行
  • 医師法改正(臨床研修の必須化)
  • 介護保険制度施行
  • 新五百円硬貨発行

2001年〜
深耕期

2001年

  • 製剤技術センター竣工















2003年

  • 創立60周年記念式典・パーティー開催

2004年

  • 仙台工場 ISO 14001認証取得















2006年

  • 会社ホームページ全面リニューアル



2007年

  • コーポレートビジュアル一新
  • 松本営業所開設
  • Webサービス「シベノールTDM推定サービス」開始

2008年

  • 本社を東京都中央区八丁堀へ移転

2009年

  • 合成技術センター竣工
  • 研修施設「クオーレ」竣工



2010年

  • 福島工場優良危険物関係事業所消防庁長官表彰受賞
  • Webサービス「シゴキン錠投与量推定サービス」開始

2011年

  • 仙台工場貼付剤包装棟竣工
  • ビスラーゼ通信販売開始
















2014年

  • 福島事業所ユーティリティ棟竣工





2015年

  • 福島事業所に新倉庫棟竣工

領域特化を推し進め、製品ラインナップを充実

製剤技術センター及び合成技術センター

左から製剤技術センター及び合成技術センター

バブル経済崩壊後の影響で景気がデフレ傾向を続けるなか、追い打ちをかけるように2007年、アメリカの住宅バブル崩壊に端を発する世界的な金融危機が起こり、先行きの見えない経済状況が続いていたこの時期。製薬業界は企業の再編が進み、また薬剤費抑制の動きはさらに強まり、業界を取り巻く環境は厳しさを増しました。

そのような中で当社は、2001年に製剤技術センターを竣工、性質上不可能と思われたニトログリセリンのソフトバック製剤を含む「ミオコール静注」、苦みをマスキングするコーティングを施した「メデット錠」、カプセル形態の先発品を飲みやすいサイズの錠剤にした「ピモベンダン錠」、低用量のラインナップ追加と口腔内で溶けやすい性質を加えた「アミオダロン塩酸塩速崩錠」と、先発品にない価値を付与した高付加価値製剤を生み出します。

2004年には仙台工場がISO 140001認証を取得し、最先端の製薬企業として基盤を固めました。さらに2009年には合成技術センターも竣工し、製剤技術センターと合わせて、原薬から製剤までの研究開発体制のレベルアップを図りました。

また、同じく2009年には研修施設「クオーレ」を竣工。2010年にはWebサービス「ジゴキシン錠投与量推定サービス」を開始、さらに2011年には栄養機能食品「ビスラーゼ」の通信販売を開始するなど、社内外に向けたサービスを拡充していきました。

そのような中、2011年3月11日に発生した東日本大震災は、当社の心臓部である福島と仙台を直撃し大きな被害をもたらしました。しかし、地震発生直後からの迅速な対応と関係業者の協力により、驚異的な速さで復旧し、市場での欠品をきたすことなく「安定供給」の使命を果たすことができました。

そして未来へ

近年、日本ではさらに高齢化が進行し、それに伴って「がん」「心臓病」「脳血管疾患」の三大生活習慣病患者数が年々増え続けています。

当社は、循環器領域(ハート)の“A”(エース)というキャッチフレーズを掲げ、三大生活習慣病の中でも「心臓病」すなわち狭心症や心筋梗塞といった循環器領域の医療用医薬品の研究開発・販売を行い、患者さんの健康回復に貢献して参りました。「患者さんの健康を守り“QOL”(クオリティオブライフ)を支えるのは私たちである。」という使命と自覚の下、トーアエイヨーはこれからも循環器領域の“A”であり続けます。

虚血性心疾患、不整脈、心不全の各治療領域でシェアNo.1実現に向けて取り組み、独創的で優れた新薬で新時代(new ERA)を拓き、飛躍し続ける所存です。

今後も「フランドルテープ」や世界初のβ1遮断テープ剤「ビソノテープ」など、他社が真似できない特色ある製剤、循環器領域の新薬、高付加価値後発品の開発に取り組み、循環器医療で真に必要とされるスペシャリティファーマを目指します。

  • クオーレ

    クオーレ

  • 本社移転

    本社移転

  • コーポレートビジュアル一新

    コーポレートビジュアル一新

行政・業界と
社会の動き

2001年

  • 国内で初の狂牛病発症
  • 家電リサイクル法施行
  • 中央省庁再編で厚生省と労働省が統合し厚生労働省
  • 第4次医療法改正(病床区分の再編成等)

2002年

  • 住民基本台帳ネットワーク稼働
  • 小柴昌俊がノーベル物理学賞受賞
  • 田中耕一がノーベル化学賞受賞

2003年

  • 郵政事業庁が日本郵政公社に
  • 小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ
  • 鳥インフルエンザ感染発生

2004年

  • 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)設立
  • 「医療用医薬品の流通改善に関する懇談会(流改懇)」設置

2005年

  • 愛知県で「愛・地球博」が開幕
  • 改正薬事法完全施行(承認許可制度改正、GVP、GQP等)
  • 日本の人口が1899年統計開始以来初の自然減

2006年

  • 薬剤師の薬学教育6年制に移行
  • 日本の65歳以上の人口率が世界最高に。15歳以下の人口率が世界最低に

2007年

  • 「医療用医薬品の流通改善に関する懇談会(流改懇)}が緊急提言発表
  • 第5次医療法改正(医師不足対策等)

2008年

  • 小林誠・益川敏英・南部陽一郎の3名ノーベル物理学賞受賞

2009年

  • 国際宇宙ステーションで日本担当の実験棟「きぼう」が24年かけて完成
  • 登録販売者制度施行
  • 裁判員制度による初の裁判

2010年

  • 日本年金機構が発足
  • 小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還
  • 改正臓器移植法施行
  • 高速道路一部無料化始まる

2011年

  • 東日本大震災発生
  • 小笠原諸島、ユネスコ世界自然遺産に登録
  • 地上デジタル放送完全移行

2012年

  • 東京スカイツリーが開業
  • 京都大学教授山中伸弥がノーベル生理学・医学賞を受賞

2013年

  • 医薬品リスク管理計画(RMP)導入
  • 製薬協が定めた透明性ガイドライン運用開始
  • 富士山が世界文化遺産に登録される

2014年

  • 消費税率改定(8%)
  • 世界文化遺産に「富岡製糸場」登録
  • 医薬品医療機器等法施行(添付文書届出義務化)
  • iPS細胞を用いた世界初の再生医療

2015年

  • 北陸新幹線開業