会社誕生
-蚕蛹のビタミンB2抽出からスタート-
当社は今からおよそ70年前、世界遺産に登録された「富岡製糸場」の最後の民間オーナーである片倉工業株式会社により、蚕蛹からビタミンB2を抽出し製品化することを目的に1943年に設立され、「東亜栄養化学工業株式会社」としてその第一歩を踏み出しました。
東亜栄養化学工業の初の製品「ビスラーゼ錠」は発売当時、蚕蛹の油を搾った脱脂蚕蛹に胚芽、麹菌、乳酸菌を添加してビタミンB2を生産する発酵法で製造をしていましたが、この方法は原料中のビタミンB2含有量や生産の安定面で課題が多く、技術向上が必要でした。
そこで、1945年、当社はさらなる技術向上を実現します。ビタミンB2を特異的に生産する「KS菌」を入手し、脱脂蚕蛹のタンパクを培養基にしてKS菌を培養、ビタミンB2を効率的に生産する製造方法を確立したのです。
この発明は画期的なものでした。ビタミンB2の生産量が飛躍的に向上し、B2を高配合した製品「強力ビスラーゼ錠」が発売されます。
その後、当社のビタミンB2含有製品は、注射剤「ビスラーゼ注」や、パンやビスケットの食料に添加する強化食用「ビタミール1号末・2号末」など、形状や用途別のラインナップを展開。戦時中から戦後の栄養剤として広く利用されることとなります。
また、1947年には、天皇陛下が当社の伊達工場を御視察されています。
生物学に御造詣深くいらっしゃった陛下は、B2生産菌の工業的利用に特別の御関心をお寄せになり、「今後ますます努力して、産業の発展に尽くしてください」との御言葉を賜りました。
そして、テレビ放送の開始、「もはや戦後ではない」という言葉や、国連加盟など、戦後復興期を経て日本全体が高度成長期へまい進し始めたこの時代に、東亜栄養化学工業も急速な発展を見せました。
創立10周年を迎えた1953年、同年に発売したアレルギー治療剤である「ビスニオン注射液」がヒットし、その後、新製品を続々と発売し、業績を急激に伸ばすことができました。
現在でも当社の製品として名を残す「パントール」「ナイクリン」「フラビタン」などは、いずれもこの時代に製造が開始されたものです。1950~60年代にかけて営業拠点も全国に拡大し、3回の増資、売上高は5億円を突破するなど、日本経済の発展・社会の安定とともに、当社が成長するための研究開発力、生産力、販売力の土台が作られた時代と言えます。
- ビスラーゼ錠
- 強力ビスラーゼ錠
- ビスラーゼ末
- 強力ビスラーゼ末
- ビスラーゼ注0.5mg
- シルクパスタ
- ビタミール1号末/2号末
- アンテルミン
- リボカ
- 薬用ビスラソープ
- 強力ビスラーゼ複合注
- 強力ビスラーゼ注3mg/10mg/20mg
- ビロックス注10mg/30mg
- 強力ビスラーゼ末2mg/3mg/20mg
- 強力ビスラーゼ注10mg/20mg
- 東栄米
- ビスオニン注
- ビロックス注
- コンプレミン注
- パントール散
- フラビタン注1mg/2mg/5mg
- ナイクリン注10mg/20mg
- ナイクリン錠/散
- パントール注20mg/50mg/100mg/250mg
- フラビタン眼軟膏/点眼液
- トリノシン注10mg/20mg
- トリノシンS注10mg/20mg